百合とお菓子と

パンナコッタ(@yuridake2018)の百合ブログです

『雨と君の向こう』感想 ~百乃モトの圧倒的な演出力にやられた~

ずっと楽しみにしていた『雨と君の向こう』の単行本がようやく出た。原作は百乃モトではないが、それでも本当に待ちに待った作品である。

それなのに小刻みに出ていたWEB連載版をあえて読まなかったのは、本作に限らず僕が単行本派だからというのもあるのだが、それよりなにより連載版はあくまでもラフ状態らしいことが大きかった。初見は完成形が良い。百乃モト作品のオタクとしては、そんな強い気持ちが大いに沸き上がったのである。

で、その完成形たる単行本を読み終えた感想。

待ってて良かった!!!!!!!!!!!!

柄にもなく叫んでしまうくらいには圧巻の作品だった。読まないとはいえ記念にラフ版の紙媒体も買ってはいたので、単行本読了後に両者を比較してみたがその違いは歴然。特に終盤、雨の中涙を流す亜紀なんかは迫力とか存在感とかオーラとかが全然違う。感無量だ。

とはいえ、完成形が凄すぎるだけでラフ版も十分に凄いのは流石の百乃モトといった所か。いやほんと何なの百乃モト......。

さて、そんな圧倒的な演出力を誇る百乃モトだが、氏の作品には一つの特徴がある。ぶっちゃけ個々の要素やプロット自体に目新しさは乏しいのである。『キミ恋リミット』の三角関係も『私の無知なわたしの未知』の家族絡みな因縁も『夕凪マーブレット』の過去の傷と向き合うガールミーツガールも、それ自体は百合漫画ではよくあるネタだ。目新しさを獲得しようとするなら、それらに何かしら別の要素を組み合せるか、誰もが予想できない驚愕の展開なり息もつかせぬ複雑怪奇な展開なりを用意することになるのだろうが、百乃モト作品にはそういったものがこれといって見当たらないことが多い。

当然、これはディスっているわけではない。百乃モトが凄いのは、そんなありきたりさが陳腐さに繋がるのを演出力と構成力で防ぎきってみせている所なのだから。むしろ、百乃モト作品の場合は斬新さや複雑さはノイズだとすら思えてくるのだ。

『雨と君の向こう』は、事あるごとに生徒である亜紀にからかわれる先生が、亜紀の家庭の問題に次第に踏みこむようになり、最後には彼女を救うという内容だ。これ自体もやはりありきたりである。そしてありきたりであるが故に、百乃モトがこれを書いて面白くならないわけがないのである。

冒頭一頁目からもうずるい。その瞬間の亜紀の様子は、本作においてとりわけ重要であろう、儚さを内包した亜紀の美しさを理解するに十分なインパクトがあった。いや、降り頻る雨を前に一人ぽつんと立つ女の子のロングショット後にぐっとカメラが寄って、そうしたらあんな美少女だったとかずるいでしょ......。先生! 早く守ってあげて!

そうして始まったこの物語は、一事が万事そんな最高の演出と共に収束へと向かっていった。最後に先生のもとから去りゆく亜紀を太陽の光が照らすのは、第1話で亜紀が雨の中駆け去るシーンの再演であり対比でもある。これもありきたりと言えばありきたりな構造だが、百乃モトはそこもばっちり珠玉の演出で仕上げてくれた。最の高である。

とまあ僕は百乃モトのファンなので、当然のように百乃モトを中心に本作の感想を書いたわけだが、本作の原作者は桜家ゆきのだ。最後に、少しくらいは原作者についても言及しておきたい。氏の作品といえば、『名もなき死体の私とあなた』が題名も内容も鮮烈だったが、思えば両作には共通するポイントが多々ある。ちょっとダメな所もある大人の女性が、自分にちょっかいかけてくる年下少女の家庭問題に関わっていくあたりはそっくりだ。その問題がセクハラを含んでいる所も共通点だろう。そういう話が好きなんだろうか。それを確かめるためにも、氏の作品をもっと読まなければ。