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パンナコッタ(@yuridake2018)の百合ブログです

『やが君』と『とど糸』に見る告白シーンの可能性

やがて君になる』6巻が発売され、「人の姿を留められなくなった」百合のオタクが続出した今日この頃。重度の『やが君』ファンな僕も当然その例外でいることはできず……。

いや凄かったですね、『やが君』6巻。圧巻の生徒会劇に始まり、見ているこちらまで胸を締めつけられる告白シーンまで全く隙のない一冊かと。

ところで、その告白シーンは「伝えてはいけない感情を伝える」という、恋愛モノの中でもとりわけシリアスなものだったわけですが、つい最近、同様のシーンを描いた作品がありますよね。そう、7月に発売された『たとえとどかぬ糸だとしても』3巻です。こちらはこちらで、好きになった相手が兄の嫁という伝えてはいけない度がおそろしく高い状況下でした。

名作と名高い両作が近いタイミングで類似のシチュエーションを描いたこと自体も面白いなと思うのですが、それ以上に、描き方の違いの方に僕は面白さを感じています。類似のシチュエーションをやった二作を比べるってなんか最近もやった気がしないこともないですが、まあそういうのが好きなんだなくらいに考えてください。

で、描き方がどう違うのかと言えば。『やが君』は告白の全貌を見せたのに対して、『とど糸』はそれをあえて一部マスキングして提示しているんですよ。

『やが君』については本当に包み隠さずで、キスシーンから言葉での告白まで全て見せつけてきました。あまりにもストレート勝負すぎて、見せる/見せないという点についてはわざわざ語る言葉も見つからないほどです(再演とかメタファーとか、他の観点についてなら喋りたいことが山ほどある名シーンですが)。

とはいえ、先輩の「ごめん」に込められた真意を侑さんが早とちりするという「作中のある人物は知らないが読者は知っている」状況を作り出すことでクリフハンガーとしての機能を強化しているあたり、決して単調な流れにはなっていないのが本作の凄い所です。その上「ごめん」の真意については早とちりだが先輩の感情についてはあながち間違えていないという状況でもあるので、告白シーンそのもののストレートさに比べてかなり複雑な流れになっていると思います。

対する『とど糸』の話はツイッターの方でも言及しているので、そちらを見ていただければ。以下セルフ引用になります。

※「P157.158の所作」とは薫瑠さんが自身の唇付近に左手を持っていく所作のことです

ウタさんの真意が確実に薫瑠さんに伝わったであろう瞬間=キスシーンをマスキングしたのは、『とど糸』らしくて非常に良かったですね。

※キスシーンについては単行本3巻の段階だと未遂で終わった可能性も残されています

さらに言えば、『とど糸』3巻はこのようなマスキングを採用したことで強烈なクリフハンガーを作り出した一冊でもありました。

※『とど糸』の話に紐付いている「恋か依存か」の話は別作品に関するものです

そんな感じで、『やが君』と『とど糸』は「伝えてはいけない感情を伝える」というシチュエーションを描いた同一カテゴリの二作ですが、同時に、描き方の面では実に好対照な二作であるとも言えます。告白シーン自体はストレートだがその他の部分で複雑化を図った『やが君』と、告白シーンの時点で複雑化を図った『とど糸』。ある何かを描く手法はひとつじゃないんだぞと証明してくれた実例が新しく出てきてくれて、喜ばしい限りです。