アニメ『やがて君になる』12話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』12話視聴。今回はアバンから強かった。起床し、外に出る侑さん。そこで侑さんが見つけたのは、朝日を浴びて神々しくも立つ燈子さんだ。そして、その瞬間カメラは侑さんの主観視点へと移行する。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
この時点で燈子さんは侑さんにとって○○なものとなっている。○○なものは、その人間にとって○○でなかった頃に比べて格段に輝いて見えているに違いない。故に、その示唆としてここでのカメラは主観視点でなければならなかったのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
さて、引き続きアバンについての(正確にはアバンも含めての)話だが、今回はいつも以上にトロイカポイント、あるいはあおきえいポイントが観測された。この主観視点のカットがまさにそれだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
※あおき氏のコンテっぽいものを「あおきえいポイント」と称しています
※12話のコンテ担当は中井準氏
画面にある人物の手だけが映り込む。これは6話コンテを担当したあおき氏の十八番だ。例を挙げるなら、『喰霊-零-』9話、『Fate/Zero』25話、『アルドノア・ゼロ』OP などが代表的な所だろうか。ああ、『やがて君になる』6話も外せないな。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
そんなアバンを経ての、Aパート。槙君の大根役者ぶりと燈子さんの名役者ぶりが、声の芝居がつくことで原作とは違う形で表現される。いやでもこれ、声なしで表現しきった原作の凄さを改めて感じさせられてしまうな。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
「どうやるんですかー」という槙君の半ば抗議じみた質問に対する市ヶ谷さんの返し、原作では「それはだなー」と始めて理論を教えてる感じだったけど、アニメでは「だから発声が大事になるって言っただろ」というウルトラ体育会系のもので酷いw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
狭い生徒会室での練習もそこそこに、生徒会の面々は本番で使用する体育館でのリハーサルへ移行する。ここで演じられるのは当然「改変前の脚本だ」。内容は、「主人公」は「恋人」といた時の自分を選択するというもの。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
で、この劇が「改変後の脚本」で構築された本番の舞台と綺麗な対比を成すことになる。それは劇そのもののことだけではない。劇を演じる彼女らの関係性の対比でもあるのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
改変前の脚本で、「主人公」は杖をつき外の世界に出ようとする。それは、誰かになろうと決めた「主人公」が他者抜きでは立てないことの示唆であり、燈子さんの現状を示すものでもあるだろう。そして、「恋人」=沙弥香さんは自身を杖と位置付けそんな「主人公」=燈子さんを支えるのだ、という構図。
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「私がちゃんと見ておくから」
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
ここで、改変前の劇は燈子さんの現状、そして燈子さんと沙弥香さんの関係性に完全に重なった。
翻って、改変後の脚本に基づく本番はどうか。ここは未アニメ化ゾーンなので未読の方はご注意ください。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
改変後の劇において、「主人公」は提示された過去の自分のどれを選ぶわけでもなく、「私は私になる」ことを選択する。「主人公」はそれを、杖に頼ることなく自分の足で立ち宣言した。そして、要らなくなった杖を回収したのは、「看護師」=侑さんだ。「わたしがいなくてもきっと大丈夫だね」。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
こうして改変後の劇は、燈子さんのこれから、燈子さんと侑さんの関係性に重なったのだ。繰り返しになるが、改変前の劇のリハーサルはアニメオリジナルで、原作で描かれた本番の杖の役割に着目してこんな対比構造を練り上げてしまうアニメスタッフのクリエイティビティには脱帽するしかない。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
Bパート、侑さんの家でめちゃくちゃ甘える燈子さん。ここで前述のあおきえいポイントが炸裂する。「いやらしい想像でもしてた?」とかのたまう燈子さんの手が侑さんの首あたりに伸ばされる所。このシーン、平面的だと絵的に退屈なものになりかねないので、こうやって立体的に描いてくれるのは良いね。
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ところで、ここの扇風機描写はアニメオリジナルなんですけど、なんのために存在するかっていったら合宿所の再演・対比構造を作るためですよね。三人じゃないからイチャイチャできるw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
「誰かにならなきゃ駄目ですか」。そう問う侑さんに、「駄目だよ。私のままの私になんの意味があるの」と返す。そこで燈子さんの顔を影が完全に覆い隠す。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
だが、影は燈子さんの全身を覆い隠すことはできなかった。俯瞰のカメラがそれを捉えている。6話で語られたように、燈子さんは「弱い自分も完璧な自分も肯定されたくない」のだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
帰宅する燈子さんと、見送る侑さん。「ここでいい」と言う燈子さんが立ち止まったのは、他とは色が異なるタイルの列。燈子さんは無言の内にも、「こちら側(好きを知った側)に来るな」と侑さんに突きつけた。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
6話にこんな構図があったことを思い出したい。燈子さんと沙弥香さんは、「そのままでいること」を望み望まれる関係として背中合わせになっている。だが、侑さんはそれとは異なる選択をした。https://t.co/JmHmAfnEjO
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
12話クライマックスのカットバック。お姉ちゃんの写真ばかりを見る燈子さんに、侑さんは真正面から向かい合った。「傲慢でも、我儘でも」、そして「いや、望んでいない」と知りながら。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
※セルフ引用したツイートで触れた挿話はカットされたのでなく順序入れ替えで後ろに回っただけでした
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
そんな感じで、12話は燈子-侑と燈子-沙弥香がアニメ独自の演出によって対比的に描かれたエピソードだったかと。アニメ『やが君』は6話が迷う余地なく一番だと思っていただけに、ここでそれと並ぶエピソードきたことに驚いている。嬉しい誤算だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日