アニメ『やがて君になる』13話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』13話視聴。1話から終始隙のない演出を維持し続けた本作の最終話だけあって、演出、構成、芝居、その他あらゆる要素に膨大な技術と熱が込められたエピソードであったかと。コンテは加藤監督自身。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
冒頭、「お姉ちゃん」の墓参り中の燈子さん。「私ちゃんとやるからね」「お姉ちゃんができなかったことを」「お姉ちゃんの代わりに」。この3つの台詞で、カットもまた3つに割られる。それは、「誰かにならなければならない」という燈子さんの心理のあらわれだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
しかし、燈子さんはふと思う。「そうしたら、私は」……。無事劇が終わり、「お姉ちゃん」の目標を達成した後の自分が全く見えないのだ。そんな時、2枚の翅が流れて行く様をカメラはとらえる。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
アニメ『やがて君になる』において虫はたびたびクローズアップされるが、今回のこれでその意義がようやく分かって膝を打った。成否がどうあれ、生徒会劇は文化祭で終わる。その先に、「お姉ちゃん」の代わりとなるための具体的な目標はない。そこで、燈子さんは「お姉ちゃん」の享年に並ぶのだから。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
そのような性質を持つからこそ、生徒会劇は一夏の虫の命になぞらえられる。すなわち、生徒会劇とは燈子さんにとって尊くも刹那的なものなのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
燈子さんがそんな葛藤を抱える中、侑さんはこよみさんと共に新たな脚本制作に励む。都さんとのやりとり、制作の具体的な過程、各々の所作など原作と比べて細かい部分が増量されたこのシーンだが、一番はやはり劇のタイトル案関連か。これは最終話ラストに関わる所なので、また後ほど。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
侑さんとこよみさんが撤収した後、時間差で燈子さんと沙弥香さんが喫茶店を訪れる。ここも所作増し増しの傑作シーンだった。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
「お姉ちゃん」の本当の姿は分からないとする燈子さんに対し、沙弥香さんは今回も踏み込んだ。一度躊躇しながらも、二人の間に位置する窓枠という境界線を超え、燈子さんの手に触れてみせる。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
沙弥香さんは、喫茶店を出て帰路につく燈子さんに手を伸ばす。それを主観視点のカメラでとらえるのは加藤監督の十八番(『アルドノア・ゼロ』OP2『レクリエイターズ』OP2『やがて君になる』2話)だが、今回はなにやら一手間加えられている。目をスクリーンにしちゃってるんだw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
沙弥香さんと別れ、駅についた燈子さんは墓参りの時と同じ思考を巡らせる。「そうしたら私は、どこに行ける? どこに?」。やっぱりここでもカットは3分割だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
それそれとして。この駅での場面、『レクリエイターズ』のオタク的にはめちゃくちゃ肝を冷やす演出でしたよね。当人以外人のいないホーム、響き渡る警報音、ロングショット……『レクリエイターズ』である人物が自ら命を断った場面の演出とそっくりなんですよ。原作でそれはないと知ってはいても、ね。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
続いてのBパートは水族館回。諸々周った後イルカーショーでのずぶ濡れを経て、館内で一休みする侑さんと燈子さん。そこで「好きって言うと安心する」と燈子さんは語る。「好き」と言えない侑さんに対して。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
そんな構図を象徴するのが、テーブルを映す俯瞰のカットだ。「好き」と言って安心した燈子さんの飲み物が比較的安定した位置に置かれているのに対して、侑さんのそれは今にも落下しそうなほど端に置かれている。いやほんとヒヤヒヤするからもうちょっと前に置いてw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
「こんなとこ小糸さんに見せておいて特別なんておかしいけどね(3話)」「矛盾してるって自分でも思うけどね(13話)」。自嘲的な燈子さんの目元が前髪で隠される反復演出。そのどちらでも、侑さんは燈子さんを肯定してあげるのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
次は1期完結に向けてのオリジナルパート。そこで侑さんは、劇の練習と称して本当に言いたいことを口にする。燈子さんはやはりそれに応えない。しかし、侑さんは「でも……」と心中で決意を新たにしたのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
そんな重い雰囲気はどこへやら、シメの挿入歌の間は終始和やかな雰囲気で進行するが、それもいずれ終わりを迎える。二人がいくら名残を惜しもうとも、出口は刻一刻と迫ってくるのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
そして、「乗り換え」の時がやってくる。それは、単に「電車を」という意味だけでなく、「先輩との関係を」という意味をも内包している。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
原作通りのこの内容を、アニメ『やが君』はオリジナルパートを通して見事に最終話のラストを飾るものへと昇華してみせた。『君しか知らない』。そのタイトルが原作で初登場し、侑さんが考えたことが明らかになるのはアニメより後のお話。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
それを今回に前倒すことで、「このままでいること」をやめるのだという侑さんの決意の象徴を最終話のトリとすることができる。どうやってシメるのかが放送初期から大きな話題となっていた本作だが、おそらくこれ以上ないものを提示されたのではないかと思う。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
さて、13話の感想はひとまずここまでになります。ダイジェスト感ゼロの丁寧な構成、原作の再現とは異なるアニメだからこその演出、漫画では決してできない上質な声の芝居と、傑作原作漫画をアニメ化するに相応しいリソースが惜しみなく投入された作品でした。作品関係者の皆様、お疲れ様です。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日