アニメ『やがて君になる』11話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』11話視聴。合宿編前半といった趣のエピソードなので、後半に向けた助走としての役割がメインの一話だが、それはそれで本作の細やかな演出が活きたものだったと思う。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
Aパート、脚本の読み合わせを行う生徒会の面々。全員が素人役者ということで、当然ながら演技はたどたどしいものとなる。原作においてはそれを表情一本で描写するしかなかったが、アニメで声の芝居がついたことでより分かりやすくなった。ここはメディアの長短が色濃く出た場面かと。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
一日目の練習が終わり、お風呂の時間がやってくる。「私入っていいの?」。沙弥香さんはめちゃくちゃ悩む。原作では一応準備を進めながら考える余裕はあったのに、アニメでは「あ、うん」と返事したにもかかわらずずっと本を手に座ったまんまという狼狽えぶりw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
で、直後のお風呂シーン。沙弥香さんと同じく、燈子さんもまた色々と考えちゃってる。その狼狽えぶりも大変素晴らしい。「スゴオイ……」てw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
お風呂上がり、「すきあり」とばかりに「眼鏡沙弥香」を激写した燈子さんだが、直後自分も侑さんにしてやられることに。侑さん、ここで撮った写真は原作では一枚だけなのに、アニメだと先輩二人から逃げながらなんか連射してる……。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
Aパートラスト。ここのカメラワークはめちゃくちゃ上手かった。二人で話す燈子さんと市ヶ谷さんから沙弥香さんへの場面転換を唐突に行うのでなく、一旦カメラを外に出してからフレームを水平移動させることでスムーズに行っている。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
沙弥香さんは諸々の事情を知りながら、そしてそれがとても気になるのに、「手を伸ばしたら」と考え燈子さんとの間にある壁に背を向けている、という構図。その強調としても、この処置は秀逸なものだったと思う。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
さて、主に小ネタ的な場面で構成されたAパートとは対照的に、Bパートは冒頭を除きシリアスなムードで進行していく。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
姉の話を聞きたい燈子さんは市ヶ谷さんの見送りに。ここ、原作より一つ一つの言動の前の躊躇いが大きいですよね。見送りを買って出た所からしてそうで、原作では皆が「お疲れ様でしたー」と挨拶する時点で歩き始めているが、アニメでは燈子さんも一緒に挨拶してから、躊躇いがちに見送りに出た。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
姉の話の振り方もそう。原作燈子さんはまだ生徒会室が後ろに見える段階で話を切り出していたが、アニメ燈子さんはそこに至るまでそこそこの距離を歩かなければ成らなかった。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
二日目の練習も終わり、花火に興じる生徒会の面々。一年生組は元気にデカめの花火を、二年生組は線香花火で慎ましく。ここで素晴らしいのは二年生組の描写だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
「最後までいくの結構難しいな」。線香花火がうまくいかず、燈子さんはそう口にする。「最後までいく」とは本作において、「踏み込み切る」ことと同義だ。この瞬間、線香花火は「踏み込むか踏み込まざるか」のメタファーとしての機能を得た。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
このエピソードで、原作でもアニメでも沙弥香さんは燈子さんに踏み込んだ。普段はそんなことしないので、沙弥香さんの表情は都度弱気なものとなる。それに対応して、線香花火の球も小さくなっていくが、燈子さんから受け入れてもらった時、弱々しかった球は活気を取り戻した。原作でもアニメでも。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
ただ一点違うのは、アニメでは沙弥香さんの球が一度完全に落ちている点。「市ヶ谷さんと、何か話してたの?」。ここで落下した球を、挫けた心の火を、沙弥香さんは改めてつけ直す。これは原作にはなかった流れだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日