アニメ『やがて君になる』9話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』9話視聴。5話コンテの林宏樹氏の再登板回ということで、大変気合の入ったエピソードと相成った。このアニメ、気合入ってない回とかないでしょってツッコミはまあその通りで。要はいつも通りの超絶クオリティなのでいつも通り楽しく感想を書けて嬉しいという話。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
アバン、「なんか知らんが入ってくる七海燈子」の図。原作では侑さんが立ち止まったままなのでまだマシだけど、アニメでは侑さんの進路妨害をしてまで倉庫内でのあれこれに持ち込もうとするので「そういうとこやぞ」感が増し増しになるw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
手ぶらだった原作燈子さんと異なり、アニメ燈子さんは何やら書類を持っている。おそらく直前で言及された「先生との打ち合わせ資料」だろうが、なんのための追加要素だ? と思っていたら、侑さんとのキスの最中それをバサッと落として膝を打った。「特別でないただ自分に戻る」ことの比喩なんだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
そんなこともありつつ始まる体育祭。運営のお仕事に一段落つけ侑さんと槙君は休憩に。ここではまず、先に飲み物の購入を終えた槙君が壁に寄りかかり、後に続いた侑さんが廊下の中央線から「足の半分だけ」槙君側に出して立ち止まる形で会話が進行してく。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
この会話で、「(好きになれなくても)今はもう寂しくないかな」と侑さんは語る。すなわち、自分も槙君と同じになったのだと。ところが、実際にはそうでない。口にはしないものの、槙君も「君は僕とは違うと思うけどな」とバッサリだ。中央線を超えたつもりが、全くそんなことはないという描写。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
それを端的に示すのが、二人並んで窓の外を眺める構図。窓という境界線から上半身を投げ出して「みんな」を観覧する槙君と、閉じられた窓越しに「みんな」を見ている侑さんだ。後者は窓=境界線に触れるカットでもうダメ押し……というのは原作のお話。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
アニメでも大体同じことをやっているんだけど、ひとつ大きく違っていて、「みんな」が「先輩と話す灯里さん」のカットバックに置き換えられているんですよね。対象がより具体的になって、見ている側としては「分かりやすく」なったのではないかと。※中央線の描写はアニメオリジナルです
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
Bパート、部活対抗リレー。ここは個人的に意外な部分で、僕はてっきり無音で行くとばかり思っていたので挿入歌というのは全く想定してなかった。とはいえ気に入らないってこともなく、むしろ「なるほどこういう大胆さもアリだな……」と圧倒された感じ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
こういう「無音で行くと思っていた所が挿入歌だった」っていうの、『ハッピーシュガーライフ』の9話でもそうだったなと思い出す。奇しくも、両者共に9話だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
それはそれとして。大胆な挿入歌だけでなく細かい所でもアニメ独自の要素が加えられたシーンでもあったかと。特に僕が気に入っているのは侑さんと沙弥香さんのバトンパスで。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
侑さんと沙弥香さんのバトンパス、原作ではパスが上手く行って良かった〜といった感じの芝居になっているが、アニメではパス直前の沙弥香さんの表情が自信に溢れていて、前回積み上げた二人の信頼関係を感じられたのがとても良かった。そういう描写があるので、当然原作のような芝居はカットされる。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
謎空間への入りと引きも良かった。侑さんの時間がスローになった時にはカメラがゆっくり寄っていき、現実に引き戻され時間が加速する(元に戻る)時にはカメラが急速に引いていくという対比的な構成。「負けたのか……」と侑さんの現実への認識は緩慢になるが、少なかぬ視聴者もそうだったのでは。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日