百合とお菓子と

パンナコッタ(@yuridake2018)の百合ブログです

『やがて君になる 佐伯沙弥香について』の小学生編を考える

『ささつ』って最初に言い出したの誰?

ツイートまとめを除けば新年最初となる記事の始まりがこれなのは、自分でもちょっとどうかと思いますが、結構気になるので知ってる人がいたら教えてください。

はい、そんなわけで今回は『やがて君になる 佐伯沙弥香について』の感想なり雑感なりを書いていきます。

タイトルからも分かるように、『ささつ』は漫画『やがて君になる』登場の佐伯沙弥香を主人公とした外伝小説。原作でも語られた中学生時代と、原作には影も形もない小学生時代が描かれました。

『ささつ』を読み終えて、真っ先に浮かんだのが「小学生編はなんのために描かれたのか」という疑問でした。改めて考えてみると、なぜ最初の感想がそれだったのか謎ではあります。というのも、ヒントは中学生編でばっちり書かれていたからです。それも、トリもトリ、最後の一文。

私は、女の子に恋することしかできないんだって。 (P211)

この一文は、進学先の高校で再び女の子を好きになった沙弥香の「納得」*1を示すもの。中学時代に同性との恋愛で苦い経験をし、友澄女子を離れてなお自身の性質が変わらなかったことで、沙弥香はようやくそれを得ることができました。

そんな沙弥香と対極にある人物が、他ならぬ中学時代の沙弥香の恋人である柚木千枝です。千枝の感情は、「憧れ」「遊び」「気の迷い」といった類のものでした。それは本人の口から語られており、また、沙弥香も以下のように評しています。

 先輩が恋していたのは、私じゃなく恋というそれそのもの 。(P200)

 恋に恋する千枝と、女の子に恋することしかできない沙弥香。そうした対比関係を強調し、女の子に恋することしかできないという沙弥香の性質を明瞭に描く。そのために(少なくともその役割の一つ)小学生はあるのではないでしょうか。

小学生編において、沙弥香は当時の習い事の一つであるスイミングスクールで一人の女の子と出会います。名前が語られないので、百合のオタクは「小5」と呼んでいますね*2

この「小5」、本人に自覚はないながらも、おそらくは沙弥香に恋していました。沙弥香はそれに気づいています。だからか、はたまたそれとは関係ないのか、沙弥香もまた「小5」に意識を傾けるようになっていきました。そこから始まるほんわか百合......はもちろんなく、二人の結末は読者が知っての通りです。「小5」に唇を首に押しつけられ、得体のしれない感情に恐怖した沙弥香は、一目散にスイミングスクールから逃げ出しました。無粋を承知で沙弥香に芽生えた感情を言葉にするなら、恋愛感情やそれに類する感情ということになるでしょう。

このエピソードが示すのは千枝との明確な差異、すなわち沙弥香にとって女の子への恋愛感情とは決して「憧れの対象」ではないということ。むしろそれは、沙弥香がはじめて自主的に習い事を辞めるほどの恐怖を与えるものでした。それでも中学時代に、そして高校に入って恋したのはやはり女の子。「私は、女の子に恋することしかできないんだって」。その記述に説得力があるのは、こうした経緯があるからではないでしょうか。

 

 

*1:「理解でもなく、諦めでもなく」という記述が重要である

*2:これも最初に言い出したの誰なんだ案件である