アニメ『やがて君になる』1話感想まとめ ~演出論のような何か~
アニメ『やがて君になる』1話視聴。アニメ独自の演出で目立ったものを順に挙げるとこう。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
①生徒会室に向かう侑さんの主観視点
②先輩の自己紹介時に舞う木の葉
③侑さんと友人達の(心理上の)距離を示す描写における「流される」動き
④したい相談を隠して他の話をする時にクローズアップされる手
①について。複数のコマで人物の移動を表現する漫画とは対照的に、ひとつらなりの映像としてそれを見せなければならないアニメーションである本作において、この処置はただ人物と風景を映すだけの冗長な移動場面を避ける上で最良のものだったかと。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
また、本作でTROYCAの常連である加藤監督がメガホンをとったこと、その意義を強く感じることができる場面でもあった。1話で主人公が「未知」と接触する場面でもこの主観の演出が採用されたことに、TROYCAの前作『レクリエイターズ』が無関係ということはないだろう。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
②について。原作同場面では影も形もないこの演出。単純に画面が賑やかになるのみならず、侑さんから見た先輩の神秘性を強調するという意味でも非常に巧みな演出だった。後にこの神秘性の裏に隠された真実が侑さんにバレる過程を、この演出の対比としてどう見せてくれるのだろうか。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
その関連として、次の教室の場面に移行する前にロングショットを挟んだのも原作にないアニメ独自の演出。漫画ではページの移動で場面間の移行を自然に見せていたが、アニメでそれはできないことを考えれば採用されて然るべき、かつ余韻を創出する一石二鳥なカットだった。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
③について。ここもひと連なりの映像だからこそとられただろう処置かと。また意味の面においても、侑さんと友人達の心理的な距離が時とともに自然と大きくなっていった(「ほかの人より遅いだけ」という侑さん自身への言い聞かせ)だろうことを示す見事な発想だった。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
で、④について。これこそ僕が1話の中で最も価値を感じている処置で。原作では「(本当にしたい話をするのに)なんて言えば」という逡巡を表情で直に見せていたが、そこをアニメとしては一切見せない。代わりに、両手のもじもじと、斜めにスライドするカメラの動きを通してそれを表現してみせた。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
この場面、原作では先輩が侑さんの背後にいるので侑さんに沈んだ表情をさせても問題なかったわけだが、アニメでは二人は向かい合っているのでそんなあからさまな表情をさせるわけにはいかない。だって侑さんって今後「いつも余裕のある人」と周囲に思われている人間として描かれるわけじゃないですか。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
そんな人間が洞察力に優れた先輩でなくてもはっきりと分かるような沈んだ表情を他人に見せていたら支離滅裂なお話になっちゃう。だからこそ、アニメ版が採用した処置は必要不可欠な良質の独自演出と言って良いと思う。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
アニメ『やが君』1話の演出ついて、もう少しだけ。Bパートクライマックス「好きになりそう」直前。侑さんは右足を「二度」後ろに下げる。一度目は先輩の唐突な行動に対する不確かな困惑が、二度目は「先輩は私と同じじゃないんですか」という明確な疑問が侑さんに先輩と距離を取らせたという演出か。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
このクライマックスは流れ自体原作に忠実でありながら、前述のようなアニメ独自の演出が山のように詰め込まれていて。先輩が侑さんを引き寄せる直前に、侑さんが先輩の手から自身の手を引き抜こうとする動きとかね。その意味については断言しかねるけど、単純に映像として面白かった。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日
先輩が侑さんを引き寄せた直後、揺れる紅茶、広がる波紋。それが全体の半分しか映されない意味は。その辺りも非常に興味深い。カットひとつひとつに込められた意味を考えるのがこれほど楽しい作品になるとは思いもよらなかった。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年10月8日