アニメ『やがて君になる』13話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』13話視聴。1話から終始隙のない演出を維持し続けた本作の最終話だけあって、演出、構成、芝居、その他あらゆる要素に膨大な技術と熱が込められたエピソードであったかと。コンテは加藤監督自身。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
冒頭、「お姉ちゃん」の墓参り中の燈子さん。「私ちゃんとやるからね」「お姉ちゃんができなかったことを」「お姉ちゃんの代わりに」。この3つの台詞で、カットもまた3つに割られる。それは、「誰かにならなければならない」という燈子さんの心理のあらわれだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
しかし、燈子さんはふと思う。「そうしたら、私は」……。無事劇が終わり、「お姉ちゃん」の目標を達成した後の自分が全く見えないのだ。そんな時、2枚の翅が流れて行く様をカメラはとらえる。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
アニメ『やがて君になる』において虫はたびたびクローズアップされるが、今回のこれでその意義がようやく分かって膝を打った。成否がどうあれ、生徒会劇は文化祭で終わる。その先に、「お姉ちゃん」の代わりとなるための具体的な目標はない。そこで、燈子さんは「お姉ちゃん」の享年に並ぶのだから。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
そのような性質を持つからこそ、生徒会劇は一夏の虫の命になぞらえられる。すなわち、生徒会劇とは燈子さんにとって尊くも刹那的なものなのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
燈子さんがそんな葛藤を抱える中、侑さんはこよみさんと共に新たな脚本制作に励む。都さんとのやりとり、制作の具体的な過程、各々の所作など原作と比べて細かい部分が増量されたこのシーンだが、一番はやはり劇のタイトル案関連か。これは最終話ラストに関わる所なので、また後ほど。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
侑さんとこよみさんが撤収した後、時間差で燈子さんと沙弥香さんが喫茶店を訪れる。ここも所作増し増しの傑作シーンだった。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
「お姉ちゃん」の本当の姿は分からないとする燈子さんに対し、沙弥香さんは今回も踏み込んだ。一度躊躇しながらも、二人の間に位置する窓枠という境界線を超え、燈子さんの手に触れてみせる。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
沙弥香さんは、喫茶店を出て帰路につく燈子さんに手を伸ばす。それを主観視点のカメラでとらえるのは加藤監督の十八番(『アルドノア・ゼロ』OP2『レクリエイターズ』OP2『やがて君になる』2話)だが、今回はなにやら一手間加えられている。目をスクリーンにしちゃってるんだw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
沙弥香さんと別れ、駅についた燈子さんは墓参りの時と同じ思考を巡らせる。「そうしたら私は、どこに行ける? どこに?」。やっぱりここでもカットは3分割だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
それそれとして。この駅での場面、『レクリエイターズ』のオタク的にはめちゃくちゃ肝を冷やす演出でしたよね。当人以外人のいないホーム、響き渡る警報音、ロングショット……『レクリエイターズ』である人物が自ら命を断った場面の演出とそっくりなんですよ。原作でそれはないと知ってはいても、ね。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
続いてのBパートは水族館回。諸々周った後イルカーショーでのずぶ濡れを経て、館内で一休みする侑さんと燈子さん。そこで「好きって言うと安心する」と燈子さんは語る。「好き」と言えない侑さんに対して。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
そんな構図を象徴するのが、テーブルを映す俯瞰のカットだ。「好き」と言って安心した燈子さんの飲み物が比較的安定した位置に置かれているのに対して、侑さんのそれは今にも落下しそうなほど端に置かれている。いやほんとヒヤヒヤするからもうちょっと前に置いてw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
「こんなとこ小糸さんに見せておいて特別なんておかしいけどね(3話)」「矛盾してるって自分でも思うけどね(13話)」。自嘲的な燈子さんの目元が前髪で隠される反復演出。そのどちらでも、侑さんは燈子さんを肯定してあげるのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
次は1期完結に向けてのオリジナルパート。そこで侑さんは、劇の練習と称して本当に言いたいことを口にする。燈子さんはやはりそれに応えない。しかし、侑さんは「でも……」と心中で決意を新たにしたのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
そんな重い雰囲気はどこへやら、シメの挿入歌の間は終始和やかな雰囲気で進行するが、それもいずれ終わりを迎える。二人がいくら名残を惜しもうとも、出口は刻一刻と迫ってくるのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
そして、「乗り換え」の時がやってくる。それは、単に「電車を」という意味だけでなく、「先輩との関係を」という意味をも内包している。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
原作通りのこの内容を、アニメ『やが君』はオリジナルパートを通して見事に最終話のラストを飾るものへと昇華してみせた。『君しか知らない』。そのタイトルが原作で初登場し、侑さんが考えたことが明らかになるのはアニメより後のお話。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
それを今回に前倒すことで、「このままでいること」をやめるのだという侑さんの決意の象徴を最終話のトリとすることができる。どうやってシメるのかが放送初期から大きな話題となっていた本作だが、おそらくこれ以上ないものを提示されたのではないかと思う。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
さて、13話の感想はひとまずここまでになります。ダイジェスト感ゼロの丁寧な構成、原作の再現とは異なるアニメだからこその演出、漫画では決してできない上質な声の芝居と、傑作原作漫画をアニメ化するに相応しいリソースが惜しみなく投入された作品でした。作品関係者の皆様、お疲れ様です。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2019年1月2日
アニメ『やがて君になる』12話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』12話視聴。今回はアバンから強かった。起床し、外に出る侑さん。そこで侑さんが見つけたのは、朝日を浴びて神々しくも立つ燈子さんだ。そして、その瞬間カメラは侑さんの主観視点へと移行する。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
この時点で燈子さんは侑さんにとって○○なものとなっている。○○なものは、その人間にとって○○でなかった頃に比べて格段に輝いて見えているに違いない。故に、その示唆としてここでのカメラは主観視点でなければならなかったのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
さて、引き続きアバンについての(正確にはアバンも含めての)話だが、今回はいつも以上にトロイカポイント、あるいはあおきえいポイントが観測された。この主観視点のカットがまさにそれだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
※あおき氏のコンテっぽいものを「あおきえいポイント」と称しています
※12話のコンテ担当は中井準氏
画面にある人物の手だけが映り込む。これは6話コンテを担当したあおき氏の十八番だ。例を挙げるなら、『喰霊-零-』9話、『Fate/Zero』25話、『アルドノア・ゼロ』OP などが代表的な所だろうか。ああ、『やがて君になる』6話も外せないな。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
そんなアバンを経ての、Aパート。槙君の大根役者ぶりと燈子さんの名役者ぶりが、声の芝居がつくことで原作とは違う形で表現される。いやでもこれ、声なしで表現しきった原作の凄さを改めて感じさせられてしまうな。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
「どうやるんですかー」という槙君の半ば抗議じみた質問に対する市ヶ谷さんの返し、原作では「それはだなー」と始めて理論を教えてる感じだったけど、アニメでは「だから発声が大事になるって言っただろ」というウルトラ体育会系のもので酷いw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
狭い生徒会室での練習もそこそこに、生徒会の面々は本番で使用する体育館でのリハーサルへ移行する。ここで演じられるのは当然「改変前の脚本だ」。内容は、「主人公」は「恋人」といた時の自分を選択するというもの。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
で、この劇が「改変後の脚本」で構築された本番の舞台と綺麗な対比を成すことになる。それは劇そのもののことだけではない。劇を演じる彼女らの関係性の対比でもあるのだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
改変前の脚本で、「主人公」は杖をつき外の世界に出ようとする。それは、誰かになろうと決めた「主人公」が他者抜きでは立てないことの示唆であり、燈子さんの現状を示すものでもあるだろう。そして、「恋人」=沙弥香さんは自身を杖と位置付けそんな「主人公」=燈子さんを支えるのだ、という構図。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
「私がちゃんと見ておくから」
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
ここで、改変前の劇は燈子さんの現状、そして燈子さんと沙弥香さんの関係性に完全に重なった。
翻って、改変後の脚本に基づく本番はどうか。ここは未アニメ化ゾーンなので未読の方はご注意ください。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
改変後の劇において、「主人公」は提示された過去の自分のどれを選ぶわけでもなく、「私は私になる」ことを選択する。「主人公」はそれを、杖に頼ることなく自分の足で立ち宣言した。そして、要らなくなった杖を回収したのは、「看護師」=侑さんだ。「わたしがいなくてもきっと大丈夫だね」。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
こうして改変後の劇は、燈子さんのこれから、燈子さんと侑さんの関係性に重なったのだ。繰り返しになるが、改変前の劇のリハーサルはアニメオリジナルで、原作で描かれた本番の杖の役割に着目してこんな対比構造を練り上げてしまうアニメスタッフのクリエイティビティには脱帽するしかない。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
Bパート、侑さんの家でめちゃくちゃ甘える燈子さん。ここで前述のあおきえいポイントが炸裂する。「いやらしい想像でもしてた?」とかのたまう燈子さんの手が侑さんの首あたりに伸ばされる所。このシーン、平面的だと絵的に退屈なものになりかねないので、こうやって立体的に描いてくれるのは良いね。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
ところで、ここの扇風機描写はアニメオリジナルなんですけど、なんのために存在するかっていったら合宿所の再演・対比構造を作るためですよね。三人じゃないからイチャイチャできるw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
「誰かにならなきゃ駄目ですか」。そう問う侑さんに、「駄目だよ。私のままの私になんの意味があるの」と返す。そこで燈子さんの顔を影が完全に覆い隠す。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
だが、影は燈子さんの全身を覆い隠すことはできなかった。俯瞰のカメラがそれを捉えている。6話で語られたように、燈子さんは「弱い自分も完璧な自分も肯定されたくない」のだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
帰宅する燈子さんと、見送る侑さん。「ここでいい」と言う燈子さんが立ち止まったのは、他とは色が異なるタイルの列。燈子さんは無言の内にも、「こちら側(好きを知った側)に来るな」と侑さんに突きつけた。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
6話にこんな構図があったことを思い出したい。燈子さんと沙弥香さんは、「そのままでいること」を望み望まれる関係として背中合わせになっている。だが、侑さんはそれとは異なる選択をした。https://t.co/JmHmAfnEjO
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
12話クライマックスのカットバック。お姉ちゃんの写真ばかりを見る燈子さんに、侑さんは真正面から向かい合った。「傲慢でも、我儘でも」、そして「いや、望んでいない」と知りながら。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
※セルフ引用したツイートで触れた挿話はカットされたのでなく順序入れ替えで後ろに回っただけでした
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
そんな感じで、12話は燈子-侑と燈子-沙弥香がアニメ独自の演出によって対比的に描かれたエピソードだったかと。アニメ『やが君』は6話が迷う余地なく一番だと思っていただけに、ここでそれと並ぶエピソードきたことに驚いている。嬉しい誤算だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月22日
アニメ『やがて君になる』11話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』11話視聴。合宿編前半といった趣のエピソードなので、後半に向けた助走としての役割がメインの一話だが、それはそれで本作の細やかな演出が活きたものだったと思う。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
Aパート、脚本の読み合わせを行う生徒会の面々。全員が素人役者ということで、当然ながら演技はたどたどしいものとなる。原作においてはそれを表情一本で描写するしかなかったが、アニメで声の芝居がついたことでより分かりやすくなった。ここはメディアの長短が色濃く出た場面かと。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
一日目の練習が終わり、お風呂の時間がやってくる。「私入っていいの?」。沙弥香さんはめちゃくちゃ悩む。原作では一応準備を進めながら考える余裕はあったのに、アニメでは「あ、うん」と返事したにもかかわらずずっと本を手に座ったまんまという狼狽えぶりw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
で、直後のお風呂シーン。沙弥香さんと同じく、燈子さんもまた色々と考えちゃってる。その狼狽えぶりも大変素晴らしい。「スゴオイ……」てw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
お風呂上がり、「すきあり」とばかりに「眼鏡沙弥香」を激写した燈子さんだが、直後自分も侑さんにしてやられることに。侑さん、ここで撮った写真は原作では一枚だけなのに、アニメだと先輩二人から逃げながらなんか連射してる……。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
Aパートラスト。ここのカメラワークはめちゃくちゃ上手かった。二人で話す燈子さんと市ヶ谷さんから沙弥香さんへの場面転換を唐突に行うのでなく、一旦カメラを外に出してからフレームを水平移動させることでスムーズに行っている。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
沙弥香さんは諸々の事情を知りながら、そしてそれがとても気になるのに、「手を伸ばしたら」と考え燈子さんとの間にある壁に背を向けている、という構図。その強調としても、この処置は秀逸なものだったと思う。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
さて、主に小ネタ的な場面で構成されたAパートとは対照的に、Bパートは冒頭を除きシリアスなムードで進行していく。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
姉の話を聞きたい燈子さんは市ヶ谷さんの見送りに。ここ、原作より一つ一つの言動の前の躊躇いが大きいですよね。見送りを買って出た所からしてそうで、原作では皆が「お疲れ様でしたー」と挨拶する時点で歩き始めているが、アニメでは燈子さんも一緒に挨拶してから、躊躇いがちに見送りに出た。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
姉の話の振り方もそう。原作燈子さんはまだ生徒会室が後ろに見える段階で話を切り出していたが、アニメ燈子さんはそこに至るまでそこそこの距離を歩かなければ成らなかった。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
二日目の練習も終わり、花火に興じる生徒会の面々。一年生組は元気にデカめの花火を、二年生組は線香花火で慎ましく。ここで素晴らしいのは二年生組の描写だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
「最後までいくの結構難しいな」。線香花火がうまくいかず、燈子さんはそう口にする。「最後までいく」とは本作において、「踏み込み切る」ことと同義だ。この瞬間、線香花火は「踏み込むか踏み込まざるか」のメタファーとしての機能を得た。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
このエピソードで、原作でもアニメでも沙弥香さんは燈子さんに踏み込んだ。普段はそんなことしないので、沙弥香さんの表情は都度弱気なものとなる。それに対応して、線香花火の球も小さくなっていくが、燈子さんから受け入れてもらった時、弱々しかった球は活気を取り戻した。原作でもアニメでも。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
ただ一点違うのは、アニメでは沙弥香さんの球が一度完全に落ちている点。「市ヶ谷さんと、何か話してたの?」。ここで落下した球を、挫けた心の火を、沙弥香さんは改めてつけ直す。これは原作にはなかった流れだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月16日
アニメ『やがて君になる』10話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』10話視聴。前回に引き続き林宏樹氏のコンテ回。おそらくは決定的な心理の分岐点を経たのだろう侑さんが、燈子さんとの新しい、しかし外形上はこれまでと変わらない関係性を構築していく過程を見事にアニメーションへと翻案してみせていたと思う。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
アバンで言いたいことはあまりないので、すっ飛ばしてA パートに入っても良いのだけど、とりあえずは一点だけ。サンドイッチをはむはむしながら喋る吉田愛果さんマジ可愛かったですね……。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
それはそれとして、Aパート。侑さんとこよみさんの脚本の引っ張り合い。漫画だと「プルプル」の擬音で表現されたその攻防だが、アニメで動きがつくだけでこれだけ映えるものに。メディアが違えば長所もまた違うことを示す好例だった。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
無限に可愛いこよみさんから脚本をかっさらった侑さんは、そのコピーを手に燈子さんを見つける。この場面、原作では普通に廊下を舞台としているが、アニメでは校舎と校舎を繋ぐ連絡橋へと大胆に変更された。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
侑さんの心理は変わっているのに二人の関係性は外形的に変わらないことを描く。それが10話の役割だ。その表現として、二人でいる時は連絡橋の「中央」で立ち話をし、話し終えると侑さんが一人で「向こう側」に走り去るという流れはあまりに適切すぎるというか、これ考えた人天才か? と驚愕する。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
帰宅し、脚本を読み込む侑さんと燈子さん。挿入された劇のイメージ映像において、「主人公」を中心にカメラはくるくる回る。流転する人物像、それにより生じる目が回るような混乱。その様は、後に燈子さん自身へと重なっていく。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
その予兆が描かれたのが、この10話。脚本を読む燈子さんの背後に位置する鏡に、燈子さんの姿が映り込む。背後に位置する鏡なので当然だが、そこに特定の「顔」はなく、ひたすらに「お姉ちゃん」そっくりな後ろ姿だけがある。まさに「誰かにならなければ、私には何もないのに」だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
翌日、生徒会会議。恋人役に動揺する沙弥香さんの顔、燈子さんに向けられるお伺い、そして何かを察したかのような槙くんの動き。槙くんw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
会議が終わり、侑さんと燈子さんはミスドモドキへ。二人が座ったのは、窓際の横並び席。窓と言えば、これまで境界線として多用されてきたおなじみのアイテムだが、今回は何やら様子が異なる。二人が同じ枠内にいる……????
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
とまあこれは当然で。先にも触れた通り侑さんはこの時点で「向こう側」にいるから、「好きを知った者」同士、同じ枠内にいるというだけの話。秀逸(かつえげつない)なのは、カメラと二人の間に挟まれた柵だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
二人は同じ枠組みにいるはずなのに、未だ柵の内側=以前の関係性に囚われたまま。変わった実態/変わらない外形という構図を示した至高のカットだ(えげつねえ……)。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
場面は変わって七海家へ。夕食のシークエンスは原作通りの流れだが、声の芝居がつくことで和やかムードから一転した燈子さんの苛立ちよく分かるように。いやかなり怖かったですよね、「何が?」の声。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
10話に関して言いたいことは主にこんな感じ。良かった所は他にもあるけど、ちょっと言語化しにくい感覚的な部分なので、後で良い感じの言い回しが見つかれば追記することにします。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月8日
【既読者向け記事】『その日、朱音は空を飛んだ』の仕掛けについて
『響け! ユーフォニアム』の武田綾乃先生が、またしても大傑作を世に放ってしまいました。タイトルは、『その日、朱音は空を飛んだ』。鳥のように翼を広げて空を飛ぶことに憧れる少女が努力を重ねて夢を実現する感動超大作……などではなく、学校で飛び降り自殺した一人の少女を巡るダークすぎるスクールミステリです。
本作の中心となる川崎朱音はなぜ、自殺したのか。その原因を辿っていくと、「大好きな幼馴染みの女の子(高野純佳)を他のやつにとられたくないもん!」という百合すぎる感情がそもそもの発端と分かります。クラスの嫌われ者である細江愛と純佳が仲良くし始めたのが気に入らない。愛と同じ物を身に着けて、愛がかつて振られた元カレと付き合い、それで自分の方が愛より優れていると証明してやろうとしたけど、うまくいかず純佳はどんどん自分から離れていく。そうだ自殺して自分のことを一生忘れられないようにしよう。ついでに自分から純佳を奪い去っていったやつらに非難がいくような遺書も用意しよう。ざっくり、そんな感じの動機です。中学時代、純佳が朱音と違う高校の受験を仄めかしたら即日自殺未遂に走った過去を持つ子なので、さもありなんといったところでしょうか。その悲惨すぎる顛末については、本記事の主眼ではないため割愛します。
さて、ここからが本記事で扱いたい叙述トリックの話になります。問題の一節がこちら。
朱音は、愛のために死のうとしているのだ。(206ページ)
これは、朱音の死の直前、クラスメイトである夏川莉苑が偶然朱音の遺書を発見した時の地の文です。本作を読み終えた読者であれば、ここで言う「愛」が文字通り人間の感情を指す愛のことであると理解できます。すなわち、朱音が純佳に向けた愛ですね。しかし、読者がそう判断できるのは、物語の後半で明かされた諸々の事情を知っているから。ミステリ慣れした勘の良い読者はピンときたかもしれませんが、中盤の段階で提示されたこの一節を、少なからぬ初読者は「細江愛のために」と読んでしまうのではないしょうか。僕はそう読みました。読まされました。
何故そういうことになったかというと、上記のような事情は後半に至るまで一切明かされず、逆に前半では「朱音は細江愛に憧れていた」「だから細江愛の真似をしていた」という歪曲された情報が提示されたからです。しかも、その直前には細江愛が朱音に呼び出されていたことを莉苑が知るパートが用意されている(他のクラスメイト全員が呼び出されているが、この時点で莉苑はそのことを知らない)ので誘導もばっちりときます。
一応は朱音は細江愛を嫌っていたという正しい情報も開示されますが、これがまた曲者。というのも、その情報をもたらしたのは他ならぬ細江愛自身なんですよ。なのでかなり主観が入っているように「見え」、実際何か根拠があるわけでもない。しかも、細江愛のことを友達だと言った朱音に対して「アンタのこと、友達と思ったことないから」と言い放つおまけつき。対して、朱音が細江愛に憧れていた旨を語ったのは頭脳明晰で基本的に客観的な言動を見せる莉苑で、しかも彼女は作中で唯一真相を知っている人物として描写されるので、両者の信憑性の差は言うまでもありません。ここまで来ると、細江愛の方が一方的に嫌っている(から向こうも嫌っていると考えている)だけなんじゃないの? その辺りのこじれた関係性が「朱音は、愛のために死のうとしているのだ」に繋がったんじゃないの? と思えてきます。実際にはそんなことは全くなく、朱音は本当に細江愛のことが嫌いで、彼女のために死ぬなんてありえないことがだんだん察せられてくるのですが……。あれ、これ細江愛のために死ぬの無理ないか、え、まさか「愛」ってそのまんま「愛」なんか? と己の騙されやすいチョロオタクぶりに頭を抱えました。他の読者も仲間だって信じてますよ!
というように、『その日、朱音は空を飛んだ』は女の子の超巨大感情を叙述トリックも含めた見事なミステリに昇華した一大傑作でした。本作がその傑作ぶりに相応しい評価を獲得することを祈って、本記事をしめたいと思います。
アニメ『やがて君になる』9話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』9話視聴。5話コンテの林宏樹氏の再登板回ということで、大変気合の入ったエピソードと相成った。このアニメ、気合入ってない回とかないでしょってツッコミはまあその通りで。要はいつも通りの超絶クオリティなのでいつも通り楽しく感想を書けて嬉しいという話。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
アバン、「なんか知らんが入ってくる七海燈子」の図。原作では侑さんが立ち止まったままなのでまだマシだけど、アニメでは侑さんの進路妨害をしてまで倉庫内でのあれこれに持ち込もうとするので「そういうとこやぞ」感が増し増しになるw
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
手ぶらだった原作燈子さんと異なり、アニメ燈子さんは何やら書類を持っている。おそらく直前で言及された「先生との打ち合わせ資料」だろうが、なんのための追加要素だ? と思っていたら、侑さんとのキスの最中それをバサッと落として膝を打った。「特別でないただ自分に戻る」ことの比喩なんだ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
そんなこともありつつ始まる体育祭。運営のお仕事に一段落つけ侑さんと槙君は休憩に。ここではまず、先に飲み物の購入を終えた槙君が壁に寄りかかり、後に続いた侑さんが廊下の中央線から「足の半分だけ」槙君側に出して立ち止まる形で会話が進行してく。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
この会話で、「(好きになれなくても)今はもう寂しくないかな」と侑さんは語る。すなわち、自分も槙君と同じになったのだと。ところが、実際にはそうでない。口にはしないものの、槙君も「君は僕とは違うと思うけどな」とバッサリだ。中央線を超えたつもりが、全くそんなことはないという描写。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
それを端的に示すのが、二人並んで窓の外を眺める構図。窓という境界線から上半身を投げ出して「みんな」を観覧する槙君と、閉じられた窓越しに「みんな」を見ている侑さんだ。後者は窓=境界線に触れるカットでもうダメ押し……というのは原作のお話。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
アニメでも大体同じことをやっているんだけど、ひとつ大きく違っていて、「みんな」が「先輩と話す灯里さん」のカットバックに置き換えられているんですよね。対象がより具体的になって、見ている側としては「分かりやすく」なったのではないかと。※中央線の描写はアニメオリジナルです
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
Bパート、部活対抗リレー。ここは個人的に意外な部分で、僕はてっきり無音で行くとばかり思っていたので挿入歌というのは全く想定してなかった。とはいえ気に入らないってこともなく、むしろ「なるほどこういう大胆さもアリだな……」と圧倒された感じ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
こういう「無音で行くと思っていた所が挿入歌だった」っていうの、『ハッピーシュガーライフ』の9話でもそうだったなと思い出す。奇しくも、両者共に9話だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
それはそれとして。大胆な挿入歌だけでなく細かい所でもアニメ独自の要素が加えられたシーンでもあったかと。特に僕が気に入っているのは侑さんと沙弥香さんのバトンパスで。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
侑さんと沙弥香さんのバトンパス、原作ではパスが上手く行って良かった〜といった感じの芝居になっているが、アニメではパス直前の沙弥香さんの表情が自信に溢れていて、前回積み上げた二人の信頼関係を感じられたのがとても良かった。そういう描写があるので、当然原作のような芝居はカットされる。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
謎空間への入りと引きも良かった。侑さんの時間がスローになった時にはカメラがゆっくり寄っていき、現実に引き戻され時間が加速する(元に戻る)時にはカメラが急速に引いていくという対比的な構成。「負けたのか……」と侑さんの現実への認識は緩慢になるが、少なかぬ視聴者もそうだったのでは。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年12月1日
アニメ『やがて君になる』8話感想まとめ 〜演出論のような何か〜
アニメ『やがて君になる』8話視聴。アバンからいつもの「大まかな流れは原作に忠実に、演出はアニメ独自のものを」というスタンスが威力を発揮する。沙弥香さんにかけられた「沙弥香ちゃん?」という呼びかけ。この瞬間に原作では例の先輩の後ろ姿が描かれるが……
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
アニメにおいては「声だけ」。このシーンの肝は沙弥香さんにとっての不意遭遇を演出しつつ「あっあいつだ……」と読者に察しさせることで、原作においてはそれを後ろ姿で実現していた所、アニメ版では声優さんの声がつくので後ろ姿すら見せなくても良いってことですね。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
Aパートも引き続きそういうスタンス。中でも際立って上手かったのは、校門前での別れ際……になりかけた侑さんからのお誘い場面。「お腹すいてたりしません?」なんて遠回しな言い方でないと誘えない二人の距離感の遠さがロングショットで(しかもカメラが徐々に後ろに下がっていくw)表現される。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
そんなぎこちなさすぎるお誘いの甲斐あって到着したマックモドキのファストフード店。ここで「燈子さんをどういう意味で好きなのかという話題になった時、沙弥香さんは「友人として、先輩として」以外に何があるのかと「大嘘をつく」。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
視聴者が知っての通り、沙弥香さん視点では後者はともかく前者は完全に大嘘。そんな大嘘を原作の沙弥香さんは完璧にすまし顔でついてみせるが、アニメ沙弥香さんは視線をそらしちゃう。トロイカお得意の非言語的な心理描写だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
マックモドキを出て信号待ちする二人は、「そんな日(燈子さんが燈子さんになれる日)が来たら」と想像する。そのディテールは明確に対比的。そんな構造を、原作はコマ割りで二人が背中合わせになっているかのような配置を作り出すことにより表現してみせた。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
ところがアニメにはコマ割りなんてものは勿論なく、横に並んだ二人を順番に映さなくてはいけない。それでどうやって対比構造を作り出すのかって話だが、これはもうアニメ『やが君』が提示した手法が最適解で、沙弥香さんを画面の左半分に、侑さんを右半分に配置してしまえば良い。シンプルイズベスト。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
二人は話が進むにつれて「踏み込む者」と「踏み込まない者」という対比構造も築いていくことになる。それを示すのは、二人が歩き出したときのロングショット。すなわち、右折する車(いずれかの方向に進みたいと思う侑さん)と停止中の車両(そのままで良いと願う沙弥香さん)という構図だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
さて、Aパートが終わり相合い傘エピソードのBパートに入る。ここで少し意外だったのは、灯里さんが先輩と帰っていく様子を侑さんが意味深に見ていた原作と比べて、アニメはだいぶあっさり演出したなってことで。ここは所謂「解釈違い」というやつなのか、まあ誤差の範囲ではあるので特に文句もない。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
侑さんは他に傘に入れてくれる友人知人を探すも見つからず、また電話した姉はデート中のため「邪魔しちゃ悪い」と迎えを遠慮する。そうして「濡れて帰るか」と覚悟を決めた瞬間に颯爽登場したのが燈子さん。直前に燈子さんにも連絡しようか迷っていただけに、侑さんは驚き反応も緩慢なものに。
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この場面で秀逸だったアイデアは、スマホをさりげなくしまう侑さんの所作。これ、原作だと燈子さんに声をかけられる前の所作なんですよ。原作バレなので曖昧な言い方をするが、ここが6巻の「いつから?」の有力候補であることを示す良い改変だ。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
「普通に先輩に迎えに来てもらう」だけなら電話しようとしていたことがバレてもさして問題にならないですからね。何かしらの感情があって、侑さんと燈子さんの関係性からしたらそれを隠さなければならないと判断したからこその所作ではないかと。おそらく、全てがほぼ無意識的なものでしょうが。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
さておき、そうして二人は相合い傘で帰路につく。ここでもアニメ独自の要素が輝いた。「子どもの頃の話なんてできるの、侑くらいだね」。原作ではこのすぐ後に傘を持つ役割を二人で奪い合い始めるが、アニメでは燈子さん見て、そして視線を逸し何事かを思案する侑さんのカットが挿入された。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
コマの移動がある漫画と違って、時間がひと連なりとなるアニメで原作そのままをやるとカットの繋がりが最高に悪くなっていたと思うのでこれはかなり気の利いた処置。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
その上、思案の内容が「侑くらいだね」というセリフにさらなる重みを付加しているのもグッドポイント。そうやって特別視されるのは、自分が好きを知らないからで、でも本当はそれを知りたいと思ってる、なんて状況を改めて突きつけられたらそりゃあんな複雑な表情にもなる。
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相合い傘だけではやはりそこそこ濡れてしまい、結局雨宿りをすることになった二人。ここでは持ってきたタオルで侑さんが燈子さんの髪を拭くという面倒見の良さを発揮する。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
注目したいのはカメラの位置で。アニメ『やがて君になる』、やはり支障ない場合はイマジナリーラインを普通に破っていくスタンスの模様。
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このスタンスはトロイカのリーダー格あおき氏がかつて明言したもので、『空の境界』画コンテ集では「僕はもう破りたくてしょうがなくて。支障さえなければ、いつでも破って構わないと思っているんですよ」とまで言っている。故にトロイカ作品がそういうスタンスで作られるのは不思議なことじゃない。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
それはそれとして、「このアニメは原作の要素を拾って追加要素を作るのが上手いなあ」と改めて思わされたのが侑さんの背伸び。身長差の話は原作の時点で存在するが、そこを絵作りに活かす抜け目なさが凄い。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日
最後に、Cパート。ここでAパートの校門前の侑さんと沙弥香さんをロングショットにしたことが活きる。距離感が微妙だった二人が「隣り合って」座り、「燈子って厄介よね」という点で共感し合う仲になったことが強調された。
— パンナコッタ (@yuridake2018) 2018年11月27日