百合とお菓子と

パンナコッタ(@yuridake2018)の百合ブログです

【既読者向け記事】『その日、朱音は空を飛んだ』の仕掛けについて

響け! ユーフォニアム』の武田綾乃先生が、またしても大傑作を世に放ってしまいました。タイトルは、『その日、朱音は空を飛んだ』。鳥のように翼を広げて空を飛ぶことに憧れる少女が努力を重ねて夢を実現する感動超大作……などではなく、学校で飛び降り自殺した一人の少女を巡るダークすぎるスクールミステリです。

 

その日、朱音は空を飛んだ

その日、朱音は空を飛んだ

 

 

本作の中心となる川崎朱音はなぜ、自殺したのか。その原因を辿っていくと、「大好きな幼馴染みの女の子(高野純佳)を他のやつにとられたくないもん!」という百合すぎる感情がそもそもの発端と分かります。クラスの嫌われ者である細江愛と純佳が仲良くし始めたのが気に入らない。愛と同じ物を身に着けて、愛がかつて振られた元カレと付き合い、それで自分の方が愛より優れていると証明してやろうとしたけど、うまくいかず純佳はどんどん自分から離れていく。そうだ自殺して自分のことを一生忘れられないようにしよう。ついでに自分から純佳を奪い去っていったやつらに非難がいくような遺書も用意しよう。ざっくり、そんな感じの動機です。中学時代、純佳が朱音と違う高校の受験を仄めかしたら即日自殺未遂に走った過去を持つ子なので、さもありなんといったところでしょうか。その悲惨すぎる顛末については、本記事の主眼ではないため割愛します。

さて、ここからが本記事で扱いたい叙述トリックの話になります。問題の一節がこちら。

 

朱音は、愛のために死のうとしているのだ。(206ページ)

 

これは、朱音の死の直前、クラスメイトである夏川莉苑が偶然朱音の遺書を発見した時の地の文です。本作を読み終えた読者であれば、ここで言う「愛」が文字通り人間の感情を指す愛のことであると理解できます。すなわち、朱音が純佳に向けた愛ですね。しかし、読者がそう判断できるのは、物語の後半で明かされた諸々の事情を知っているから。ミステリ慣れした勘の良い読者はピンときたかもしれませんが、中盤の段階で提示されたこの一節を、少なからぬ初読者は「細江愛のために」と読んでしまうのではないしょうか。僕はそう読みました。読まされました。

何故そういうことになったかというと、上記のような事情は後半に至るまで一切明かされず、逆に前半では「朱音は細江愛に憧れていた」「だから細江愛の真似をしていた」という歪曲された情報が提示されたからです。しかも、その直前には細江愛が朱音に呼び出されていたことを莉苑が知るパートが用意されている(他のクラスメイト全員が呼び出されているが、この時点で莉苑はそのことを知らない)ので誘導もばっちりときます。

一応は朱音は細江愛を嫌っていたという正しい情報も開示されますが、これがまた曲者。というのも、その情報をもたらしたのは他ならぬ細江愛自身なんですよ。なのでかなり主観が入っているように「見え」、実際何か根拠があるわけでもない。しかも、細江愛のことを友達だと言った朱音に対して「アンタのこと、友達と思ったことないから」と言い放つおまけつき。対して、朱音が細江愛に憧れていた旨を語ったのは頭脳明晰で基本的に客観的な言動を見せる莉苑で、しかも彼女は作中で唯一真相を知っている人物として描写されるので、両者の信憑性の差は言うまでもありません。ここまで来ると、細江愛の方が一方的に嫌っている(から向こうも嫌っていると考えている)だけなんじゃないの? その辺りのこじれた関係性が「朱音は、愛のために死のうとしているのだ」に繋がったんじゃないの? と思えてきます。実際にはそんなことは全くなく、朱音は本当に細江愛のことが嫌いで、彼女のために死ぬなんてありえないことがだんだん察せられてくるのですが……。あれ、これ細江愛のために死ぬの無理ないか、え、まさか「愛」ってそのまんま「愛」なんか? と己の騙されやすいチョロオタクぶりに頭を抱えました。他の読者も仲間だって信じてますよ!

 

というように、『その日、朱音は空を飛んだ』は女の子の超巨大感情を叙述トリックも含めた見事なミステリに昇華した一大傑作でした。本作がその傑作ぶりに相応しい評価を獲得することを祈って、本記事をしめたいと思います。